幸福への招待

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生きる勇気とは?

アドラーは、

「人は人生の課題にぶつかったとき、その避けることのできない課題から、回避しようとすることが、勇気を欠いている」 という。

 

アドラーは、勇気は自分自身が勇気がある人からしか、学ぶことはできない という。

 

勇気は、そして臆病も、伝染する。

 

自分が勇気を持つことで、他人を励ますことができる。

 

ここに書かれていることを、覚え込んでも意味はない。

 

その、勇気というのを知ることから始まる。

 

何かを経験して、必ず学べるわけではない。
大事なことは、何を経験するかではなく、経験から何を学ぶかである。

 

失われた勇気。

 

あなたを治すために、二人が何をすればうまくいくと思うかと、アドラーは問う。

 

勇気は共同体感覚の一面であるという個人心理学を知っているものなら、用意に理解できるだろう。

 

勇気づけは、誰もがなんでも成し遂げることができるという個人心理学の確信においてなされる。

 

課題に取り組む前に、そもそも、課題に着手し挑戦しない人が多いことにきがつく。そして、できない理由をあげる。

 

「劣等コンプレックス」である。(見かけの因果律

 

(できないのではなく、課題から目をそむける言い訳をつくる。
道に迷ったとき、人に道をきけない人がいる)

 

自信を失う。

 

アドラーはいう。「私は自分に価値があると思うときにだけ、勇気を持てる」

 

  ライフスタイルを選ぶ時に、周りからの影響はあっても、最終的に選んだのは自分であるということに注目したい。

 

大人が子供を叱る時、ほめる時、大人は子供を自分と対等な存在とは見ていない。

 

自分で判断する力のない子は、大人からみればいい子にはなるが、自分の判断で進んだ適切な行動をしなくなり、大人の顔色をうかがうようになる。

 

あるいは、子供は大人を「敵」と見て、「仲間」とは見なくなる。

 

評価を恐れる

 

アドラーはいう、「ほとんど努力することなしに手に入れた成功は滅びやすい」

 
 

評価されることを恐れるのは、賞罰教育にある。賞賛を得られなければ、適切な行動を止めてしまおう、と考えてしまう。
子供には、「失敗する勇気」を持ってほしいとおもう。
「不完全である勇気」を。

 

この地球の上でくつろぐ人は、人生の快適さだけでなく、不快なことも自分に 属していることを知っている。

 

親の準備とは、自分には人生の課題を解決する力があるということを子供に教えるということである。

 
 

あまりに期待するので容易に人生に失望する

 

自分から何も与えず、他者から与えられるというのは、甘やかされた人の仮想の世界においてのみ起こる。

 

自分をよくみせようとする人。

 

実際には優れていないのに、優れているふりをする人がいる。問題は、他者からの評価を気にかけ、つま先で立つようなことをして成功と優越性を得ようとすること。
本当に優れようとすることを忘れてしまう。
(人よりも優れようとすることは、実は劣等感の裏返しである)

 

課題をこなすことより、その手段(フェチズム)にこだわる人がいる。

 

噺はなし家の場合

 

・伝えたい=語る  
晩年   ・伝えたい=伝え方にこだわる(フェチズム)

 
 

自分の思い通りにしたいと思う人には、きちんと自分の主張をしたほうがいい。
自分が正しいということを証明したい人は、感情的になりやすいが、それをさけては課題はこなせない。本当に間違えていないのか、理解しあうためにも。

 
「人を支配せず、かつ、支配されないことが真に自立するということである」


人に合わせないというのは、人が自分について持っているイメージからだけ合わせないということである。
そうすることで、どれほど人は自由になれることか。

 

自立には勇気がいる     自分の価値を認める
 
人生は失敗からだけ学ぶことができる。

 
(楽天家と悲観主義者の根っこは同じ)
 

  困難があるから課題を回避するのではなく、むしろ、失敗を恐れるゆえに課題を避けるのであり、課題を回避する理由を探している。


   課題に立ち向かうのも、ただ自分のためだけでなく、他人に目を向けることにより、世界を改善するための役割を果たすことができるのである。

 

(本当は、課題に取り組まないために不安という感情を創りだしているのだが)

短所は長所になる

 

私が価値があると思えるのは、私の行動が共同体にとって有益であるときにである

 

人は一人では生きられない。本質において、他者の存在を前提にして個人となる。

 

人間の悩みはすべて対人関係の悩み。わかりやすくいえば、人生の悩みはそれ以外にないようにもみえる。

 

所属感を持つことができれば、世界へと一歩を踏み出すかもしれない。

 
 

病気(死)と向き合う身体の声

 

私=身体    、私<=>身体(病気)    、病気による私の支配

 

同じ、病気という苦しい経験をしても、学ばない人は、何も学ばないでいる。

 

経験はきっかけにすぎず、変わらない人は、何をしても変わらない。

 

共同体感覚は何かと問われたら、
イエスやアドラーのように、たとえ話でしか答えられない。

 

「お前は共同体感覚がない」「劣等感がある」「他人に感心がない」という
ような言い方は、有害以外なんでもない。

 

世の中への贈り物、それは「勇ましい高尚なる生涯」と、市村鑑蔵はいう。

 

明日、地球が滅ぶとしても、私は林檎の苗を植える。ほんとかね

 

「大切なのは、"ただ生きる"でなく、"よく生きる"こと」    ( アドラー)

 

アドラーに学ぶ―生きる勇気とは何か

アドラーに学ぶ―生きる勇気とは何か

 

こちらの書籍は、何より私にとって生きる励みになっています。