幸福への招待

幸せを望むすべての方へ言葉の本をお届けします

幸福をもたらすもの その二

・愛情
 
愛されているという感情は、ほかの何ものにもまして熱意を促進する。
並みはずれた親切な行為によって、愛情を得るために努力するものは、まず成功の見込みはない。
その動機は、受益者にやすやすと見破られるからだし、また、人間の性質というものは、愛情をいちばん要求しないように思われる人にいちばん進んで与える、というふうなしくみになっているからである。
親切な行為によって愛情をあがなおうと努める人は、人間の忘恩を経験して幻滅することになる。
 
安心感を生み出すのは、人から受ける愛情であって、人に与える愛情ではない。
 
明らかに、愛情にはなにがしかの保護的な要素がはいってくる。
 
往来、男性が臆病な女性を好んできた理由の一つは、人の不安をかきたてることで、もっと完璧に支配する力を得たい、
男性は女性を守ることによって女性を所有するに至ったからだ。
女性は男性をその性格ゆえに愛する傾向があるのに対して、男性は女性を外見のゆえに愛する傾向がある。
(男性はよい性格に必要な手段を理解し追求してはいない)
 
真に価値ある性的な関係は、ただひとつ、互いに遠慮することなく、双方の全人格が融合して、一つの新しい総合的な人格になるような関係である。愛における用心深さは、ことによると、幸福にとって致命的なものであるかもしれない。
 
・家族
 
良心的でない母親は、子供にあまりにも多くを求めるようになる。(自分が断念しなければならなくなった喜びの埋め合わせををわが子に求める)良心的な母親は、自分の自然な愛情を抑え、そして内気になる。
どちらの場合にも、単純で自然な幸福は存在しない。
 
白人種の作り出した文明は、男女ともに、文明を吸収すればするほど不妊になる。つまり、最も文明化した人間は最も不妊であり、最も文明化していない人間は多産である。
こういう特徴を持つ文明が不安定であることは、明らかである。
国家としては、貧乏な人たちを無知にしておくように努めるのが精いっぱいだ。
だから、白人種のように滅びたくなければ、親になることがふたたび両親に幸福をもたらしうるようにしなければならない。
 
マクダフは、妻よりも子供のほうを愛している。
旧約聖書では、男女ともに、子孫を残すことに情熱的な関心を持っている。中国や日本では、この態度は現代に至るまで存続している。
 
祖先崇拝は、人びとが自分の家族の存続に寄せている関心の反応にほかならないのである。
 
親としての幸福は私の味わったほかのどんな幸福よりも大きいと思っている。
(事情により男女がこの望みを断念せざるおえない場合、原因不明の不満と無気力とを生み出している)
 
後世に刻印を残すような偉大ですばらしい業績をあげられる人は、自分の仕事を通してこの感情を満足させられる。特別な才能のない男女にとっては、子供を通してそうするよりほかに先の道はない。